重文 書院



重要文化財に指定されている書院は、室町時代の文明年間(1469年〜1487年)に妙心寺の霊雲院の書院を模して当庵開山春嶽禅師によって建てられた書院造の建造物で、山崎宗鑑の旧居とも言われています。

仏間正面には、ご本尊聖観音様をおまつりし、左側に千利休像を安置します。

特徴はその梁、長押の木材の細さにありますが、強度は十分に保たれています。
上の「妙喜庵」の額は、東福寺の南宗流という書道の開祖の筆で、室町時代のものです。



待庵の東側、もう一つの書院「明月堂」の前庭にある袖摺りの松は秀吉の衣の袖が触れたということから、名づけられました。現在は枯死してしまい三代目の松になっていますが、枯死した松は当庵名物「老松の茶杓」として連綿と息づいています。

「明月堂」は月が昇るのをよく眺めることのできる茶室で、同様に宗鑑の旧居とされていて桃山時代後期(慶長年間)の建造であったといわれておりますが、現在の明月堂は後年(昭和初期)に新築されたものです。



都林泉名勝図絵における茶室待庵







また、書院広縁の突き当りには杉戸があり表には今は見えませんが松と鶴が描かれており、裏には雪中古木に山鳥が二羽描かれています。この絵は狩野山雪の書と伝わります。



書院を降りた露路の奥には、蹲(つくばい)があり、利休の高弟である芝山監物の寄進になるものであり、「芝山の手水鉢」といわれております。